愛情週間〜月曜日〜


 油断した。
 彼は、今痛烈にそう感じていた。
 若干の疲労感と共に。

 ――――やられた、な。

 まさか、という思いはあった。
 確かに高らかに宣言していたりなどした。

 だが。
 しかし、だ。

 一晩たって何かをした形跡もなく、いつもどおり寝坊して、いつものとおりそれをたたき起こして、そしていつものとおり大急ぎで朝食を食べさせ、支度をさせ、いつものとおり…………。
 つまり、何もかもが常と変わりなく、忘れてしまっているとでも判断したほうがいい状況が続いていたのだ。
 また学校に着いてしまえば、大したことなどできないだろうという思いもあって、警戒を弱めたそれがいけなかったのか――いや、一度決めたらやり遂げなければ気がすまない彼の性格からして、どうあっても実行した気もするのだが。それでももしかしたら、と思えば情けなく思えてくる。少なくとも途中で阻止することはできたかもしれない。
 今さら言っても詮無いことだが。

 後悔などしている暇などないはずなのに、一度止めてしまった彼の足は止まったままだ。
 正直、どうしていいかわからなかった、一瞬。

 今朝学校に着いて、彼の幼馴染――という名前のトラブルメーカー――とは教室の前で別れた。
 日直でそれからの時間は会えずに過ごして、そして一時間目の休み時間。
 かばんの中に彼の教科書がまぎれてしまっているのに気付き――昨日一緒に課題をしたからその時だろうか――届けに来た。

 の、だが。

 肝心の彼が、キラ・ヤマトの姿は見えなかった。
 見えなかったばかりか……。

 トイレか移動教室か、それとも――と考えたアスランに、彼のクラスメイトは唖然とするようなことを言ってくださった。


「え? キラ? 今日来てないじゃん」
「…………………………はあっ!?」

 アスランが滅多に見せない無防備な表情というものを晒して驚きの声をあげてしまったのも、まあ仕方のないことではなかろうか。

 まず思考が泊まり、それから耳を疑った。
 しかしながら教えてくれた彼が不思議そうな、むしろ怪訝そうな顔でアスランを見るので、聞き間違いではないのだろう。


 ではそれはそれで真実としても。
 アスランが朝一緒に登校したキラは?
 アスランが布団から引きずり出すように起こした彼は?
 もっとやさしく起こしてだとか文句をつけてきた幼馴染は?

 一体なんだというのだ。

 まさか幽霊だとでも!?
 ――――否。
 それこそまさかだ。
 とんでもないほうにいきかけている思考回路をもとに引き戻す。
 キラじゃあるまいし、そんなことで時間を潰してなどいられない。

 今朝一緒に学校に来て、アスランのクラスの前で別れた。
 しかし自分のクラスに入った事実はない。
 とすると。
 はじき出される結論など限られているではないか。

 どうやら自分は相当に動揺してしまっていたらしい――未だ動揺が続いているということに気がつかないほどに。

「ザラ君?」
 呼ばれ、我に返って笑顔をつくる。
 この辺の条件反射は我ながらさすがというしかない。

「ああ、悪い。ありがとう、気にしないで」

 そのまま踵をかえそうと思って、ふいにとどまった。
 甘いと思いながらも。
 自分はキラに甘すぎる、と。
 けれど見捨てられないのは、もはや刷り込みのようなものなのかもしれない。

 何でもない風を装って、そう独り言とでも言うように、アスランは首を傾げて呟いた。

「キラ、保健室にでもいったのかな」

 反応をまたずして、自分の教室とは反対方向――必然的に保健室の方向になった――に歩き出したが、これで彼にはキラは保健室という何の根拠もない確信が植えつけられたことだけは間違いない。
 アスランはキラとこなら何でも知っている。
 そう認識されるぐらいのことを今までしてきたのだから。

 ため息を殺しきれないまま会談をのぼる。
 保健室は下だったが、まさか本当にそこにいるなどとは考えない。
 一時間たっていなくなっただといかいうのならまだわかる――まだ、の範囲ではあるが。
 しかしアスランがキラと別れた直後に保健室などとはまさか考えられない。

 ではどこにいるか。
 果たして未だ学校にいるのか。
 それさえも確たる証拠は何もなく。

 しかし変な自信だけはあった。

 キラはまだ校内にいる。

 ――何故か。
 あいつのことだから、とは言い訳にならないだろうか――なんだか少しこそばゆい気分だが。

 キラはきっとまだ校内にいる。
 校内にいて、たぶん――――。

 しかしながら校内といってもそれなりに広い。
 広い、がしかし、サボったというのなら、行くところ行けるところは限られてはいる。
 いないとは思うが保健室か、裏庭か、図書室か、社会化準備室だとか、そういえば最近生徒会のメンバーと仲良くなただとか言っていたから生徒会室も候補に入れておいてもいいかもしれない。
 ……走り回っていたら休み時間など終わってしまいそうだ。

 けれど。
 けれど、たぶん。
 たぶん違う。

 アスランの足はリズムよく階段を登っていく。
 キラはきっと屋上に――。
 そう、だって今日はとても気持ちよく晴れているから。

 昇りきった階段の奥。
 そっけないドアは、立ち入り禁止のはずなのにすんなりと開いた――セキュリティーの名が泣く。

 キラはきっとまだ校内に。
 校内にいて、たぶん待っている。
 ―――――――アスランを。

 それは子供故の傲慢。
 わかっていながら捨てることは出来ないほどに心地良い。
 アスランは微かにそれに酔いながら、一つの名を呼んだ。

「キラ!!」

 冬から春へのまだ少し冷たい風が彼の髪を撫ぜた。
 返事は、ない。
 間違えたか。
 府に落ちない思い出首をひねった、その時。
 雲ひとつない空のはずなのに、頭上からすっと陰りがさした。

 後ろに身を引いたのは反射に近い。
 すたんとそれなりの重さを感じる、けれど軽やかな音が響いたのは、丁度自分の行動を把握したときだった。
 あたたかい砂色の髪が、太陽の光をうけながらふわりと目の前で散った。
 音の発信源は、今の今までアスランが立っていたその場所だ――動くのがあと少しでも遅れていたら、結果など考えるまでもない。
 安堵よりも先に言いようもない怒りがこみ上げてきた。


「キラ」
 言わなければならないことがたくさんあった。
 たくさんありすぎて、何から言っていいかわからず、ただ名前を呼んだ。
 ため息混じりに呆れた声で。

「なんでよけるかな」

 なのに当の本人はそんなアスランの葛藤など知る由もないとむちゃくちゃなことを言ってくださるのだ。
 それはそれは不満そうに。

「しっかり受け止めてよ」
 そんなことはよろけてみせるだとかそんな可愛げのあることをしてから言って欲しい。
 少なくとも着地まで点数がでそうなほどに綺麗に決めた奴の言うことではない。

「嫌だよ。痛いだろ」
「大丈夫だよ。要は愛の問題だろ」

 その自信は一体どこからくるのか。
 愛がないと叫ぶのに、あってたまるかと呟いた。心の中で。
 いやむしろありすぎて困っているくらいなのだが。

 とにかくもこんなやりとりをするためにここにいるのではない。
 さあ気合を入れて説教だ、としかしアスランが身構えるよりも敵方の攻撃のほうが早かった。

 気を取り直したのか、笑顔を浮かべたキラが、言った。

「ま、いいや。いらっしゃい、アスラン」


 気が抜けた。


「思ったより早かったね」

 ほら、やっぱりそうではないか。
 キラは待っていた――言葉につっこみたいところは山ほどあるとしても。


「早かったね、じゃない。何やってるんだよ」
「え〜? サボリ?」
 どんなに可愛く言おうが、事実は変わらない。
「昨日のあれ?」
「そう。愛情週間!」

 愛情週間とは、一週間愛を込めて長いので以下略。
 簡単に言えば、キラのキラによるキラのための暇つぶし週間だ。
 実にくだらない。

「で、今日は授業をサボり?」

 背後で聞こえるチャイムの音も気になった。

「あー、いい。話はあとだ。とりあえず授業に戻るぞ。気は済んだだろ」
 差し出した手をキラは唸りながら睨む。
 ここでごねられたら面倒だ。
 いつまでたってものびてこない腕を掴もうと、しかしアスランがするよりも早くにキラがばっと顔を上げた。

「ハズレっ!」

 たんっとコンクリートを蹴る音。






 油断した(第二段)。
 思いっきり飛びつかれ、強い衝撃と共に視界が回るのがかろうじてわかった。
 気を抜きすぎていたんだろうか。
 かろうじて受身はとったが、だからといって痛いものは痛い。
 当然だ。
 コンクリートは柔らかい素材では決してない。
 なんとなくいい音も聞こえた気がするし。

 必然的に上にあるキラの顔はどこまで楽しそうだった――さすがにむっとした。
 しかしながら、自分より軽いやつ――しかも男だし――に押し倒される――そしてここは屋上――というのは、なかなか複雑な気分だ。
 だいたいにして何が「ハズレっ!」なのか。


 空が…………青い。
 …………現実逃避か。

 背中が痛い。
 とりあえずどけと示して、身体をおこそうとするが、何が楽しいのかキラは笑いながら「いや」だとほざく。

「キラ」
「だーめ」
「何でだよ」

 苛立ちが募って――痛かったし、いつものこととはいえ、わけわかんないし――力ずくで押しのけようとするが、さすがに全体重をかけられれば、重い。
 いや、ためらうのは無理に跳ね除けてキラがコンクリートに頭をぶつけなどしたらまずいだろうと思うからなのだが――経験者として言わせてもらえれば、痛い。とにかく痛い。
 仕返しに同じことをしてやろうと思うほど子供ではないが、それにしてもしみじみ思う。
 甘い。


「甘いよ、アスラン」
 ただし本人に言われたいことでは決してない。
 ひもをつけてでも引きずって教室に戻ろうと心に決めるが、キラが言う。

「僕がこんなもので満足するはず、ないじゃない?」
 …………違う話だったらしい――よくよく考えてみれば自然な話だが。
 なんだか一気に疲れてしまった。

「まだ何かするつもりなのか、お前は」

 いい加減にしてくれと切に思う。
 なんだってこうはた迷惑なことを――主に被害者はアスランだ。しかも半分ほど自分から首を突っ込んでいるのは棚に上げておく――思いついてくださるのか。
 一週間……胃はもつだろうか。
 七日。
 たかが七日されど七日。
 気が遠くなりそうだ。

「ってゆーか、僕がサボったところでいつものことだし」

 ああ、なんだか今聞き捨てならないことを聞いたような……?

「……きぃら?」
「あ。……あはははは」
「笑ってごまかすな」
「ま、おいといて。だからだね、愛情週間記念すべき第一日目! アスランをサボらせよう!!」

 愛情週間――名前からは全く想像できないが、一日一つ何か『優しく怒られる』悪い事を実行する週間……らしい。
 コンセプトはあくまで『優しく』、だが。
 これは本気で怒らなきゃいけないことではないのだろうか。
 ってゆか、怒りたい。
 そして授業に戻りたい。
 確かに……、そう確かに空は青くて、風は涼しくて、授業なんかよりもこっちで寝ころんでいるほうがよほど魅力的ではあるけれど。
 やぱり間違っていると思うのは、悲しいかな、性格なのだから仕方ない。

「あーもーなんだってこんな風になっちゃったんだよ」
 絶対どこかで育て方を間違えた。
 きっと甘やかしすぎたのだ。
 わかってはいる。
 時はすでに遅いが。

「君のせいだよ」
「何でだよ」
「何ででも」

 本当……なんでこんな風に育ってしまったのか、君も、俺も。

 わけのわからないことばかり言って。
 わけのわからないことばかりして。
 文句を言いながらしっかりつきあって。

「ぜ〜んぶ君のせいなんだ」

 理不尽なことを言われて。
 理由もわからないままにそうかと納得して。
 それでもいいじゃないかとか思って。

 崩れてきたキラに重いと叩く。
 何故かうれしそうに笑われて、なんだかやる気がそがれてしまった。


 日が昇る昼寝日和な春の朝。
 仕方ないなと空を見上げた。
 ぎゅっと抱きついてくるのは、逃がさないという意思表示なのだろう。

「サボるっていつまでだよ」

 一度決めたらやりとおす――それがどんなにくだらないことであっても・
 無駄に頑固なのはもう知り尽くしているから。
 まあ一日ぐらいなら付き合ってやってもいいかと思ってしまうのは結局のところ、その笑顔が好きなんだと思う。

「ずっと。一日」
「俺かばん教室なんだけど?」
「お弁当あるよ? ちゃんと二人分」

 いやそうじゃなくて、と言おうとして気がついた。
 ………………二人分?
 さあ、ヤマト家で弁当を作るのは誰か。
 キラ――なわけがない。
 その場合むしろ曹操に事態すべきだ――失礼だが腕前など熟知しているのだ、こっちは。
 となると、頭の痛くなるような可能性が浮かび上がってきた。


「カリダさんになんて言ったんだよ、お前は」

 まさか、とは思う。
 別に本当のことをぺらぺらしゃべらなくてもほかにいろいろと言い様はあるのだから、と。
 でも、彼はキラなのだ。

「え? 普通に」

 ああ、なんだかとてつもなく嫌な予感がひしひしとしてきた。

「だから君と学校サボってご飯食べるから今日二人分ねって」

 ――――親は公認なんですか。

「ちゃんとレノアさんにも言ったんだよ。アスランサボらせていいですかって。レノアさんいいわよーって」

 それでいのか。
 本当にいいのか。

「無断でやって下手に怒られるのも嫌じゃんね。だって愛情週間だし!」

 許可をとればいいのか。
 そういう問題なのか。

「だから、怒ってもいいけど優しく怒ってね?」

 起こる気が失せるような顔で、よく言う。
 仕方がないから…………、仕方がないから、後でにしよう。
 カリダさんと母と、キラと三人そろっている時に言わせてもらおう――なんとなく負ける予感もするが。

 せっかくこんなにも空は青いし。
 キラは、楽しそうだし。
 こんな日もたまには、たまになら、あり……なの、かも?しれない、とか思ったり思わなかったり。
 ただどうせやるんだったらとことんまでやりたいと思った。



「どうせだったら公園にでも行こうか」
「……へ?」
「サボるんだろ、もう何いったって無駄なんだろ。だったら楽しんだほうがお徳だろ」
「まあ……そうなんだけど」

 キラはどこか釈然としない様子で呟く。
 怒られるのは楽しいことじゃないけれど、何も言われないというのは、それはそれで居心地が悪い、というか不気味らしい。
 苦笑して告げる。

「帰ってから気合入れて怒ることにするよ」
「…………な〜んだ」

 気を落としている様子が、どこか仔犬を思わせて、思わず噴出すと睨まれる。
 そのふくれた頬をつぶしながら、思いついたように行ってみた。


「お花見しようか。桜が見ごろなんだってさ」


 邪魔をされるのも腹立たしい。
 だから。
 かばんも何もかも、常識とか良識とか全部置いて。

 2人で行こうか。







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あとがき。(反転してください)
アスランは食堂派です。だからかばん置いて帰ってもご飯が腐るなんてことはありません。言いたかったのはそれだけです(くだらない)いえ、私的には一番気になった場所でございます。
とりあえずもんのすごく遅くなってしまってまっこと申し訳なく思っております。書き始めたのはいつのことだったか。2,3ヶ月は平気で放置してましたね(反省)
このネタとても楽しいのですが書くのに結構気力が要ります(自分で吃驚)気長にまってやってください。