ツメアト


 ふっと人の気配を感じて、意識が浮上した。
 寝ていたわけではないが、思考がどこか遠くへとんでいってしまっていたことは確からしい。
 顔をあげれば目の前をタオルが通り過ぎていく。
 ……正確には、風呂上りで肩からタオルをかけたアスランが、だが。
 ちょっとドキッとしてしまった自分に笑う。
 でもだって仕方がないじゃないかと言い訳しながら。
 遠慮も何もない幼馴染は、ほんのりと色づいた肌を惜しげもなくさらしながら、無頓着に濡れた髪なんか拭いているのだから。
 ――なんだって上着ないかな。
 自分のことはこの際棚にでもあげてしまって悪態をつく。
 照れ隠しに、だけど。
 逸らした視線を、なんだかもったいないなあなどという自分でも何がなのかよくわからない衝動から戻せば、目に入ってきたのは、彼の、背中だった。
 キラのよりも格段にしっかりとつくられた……。
 悔しいと思うよりも先に目に入ってくる。
 自分の顔が真っ赤になっているのがわかった。
 その、傷跡のせいで。
 小さな引っかき傷。
 いくつか散った、爪のあと。
 自覚はなかったのだけれど、キラ以外つけようのないそれ。
 うわ〜と心の中で叫び声をあげ、ほてった顔をアスランに見つかる前に、と必死で戻そうと頑張る。
 目を逸らし、深呼吸をし、無理矢理テレビを見たり――ついてなかった、この際もうなんでもいいと窓の外に目をやったりして。
 その甲斐あってかなんとか鼓動も収まってきて、それで思ったのは。
 痛いかな?
 思わずもう一度今度は若干目を細めてその傷を眺めてしまう。
 痛い……よね、きっと。
 生々しいそれは、自覚なくつけてしまうほどに意識が飛んでしまっていたときにつけたということだから、手加減も何もあったはずがなく、それはつまり、痛くないはずがなかった。
 左手を掲げてみれば、確かに少し爪が伸びてきたかもしれない。
 少し、考えた。





 もともとの予定には入っていなかったのだけれど。
 思いついたら実行しなければ気がすまないというのは、幼いことからの癖みないなもので、あまりよくないものなのかもしれなかった。
 少なくとも、そのたびに迷惑をかけられるアスランにしてみれば。
「アスラン」
 髪を乾かしてシャツを着た彼に、やっぱもったいないと、やっぱり何がなのかよくわからない感想をもちながら、キラはゆっくりと名前を呼んだ。
「どうかした?」
 優しく笑うアスランに、同じく笑い返す。
 ほのぼのとした空気。
 でもその空気を打ち壊すかのようにキラは腕をあげてアスランに示す。
「はい」
「………………はい?」
 何がしたいんだと顔に書いた彼は、今度は一体なんなんだとでも思っているに違いなかった。
「アス」
 もう一度呼べば困惑しながら近づいてきてその手をとってくれるけど、キラが何がしたいのかわかってくれた様子はなかった。
「はい」
「いや、何がしたいの?」
 わかるわけがないのにわかってくれなくてちょっと苛ついた。
 そんな自分を抑えつつ、もう一度言ってみる。
「やって」
 …………決定的に、言葉が足りない。
「だから何を」
「わかんないの?」
「……ごめん」
 責めれば謝られた。
 キラも、そしてアスランも、どこも悪くないのにとぼやいて。
「駄目だなあ」
 愛が足りないといってやれば、彼の顔がどこかなさけなく見えてきた。
 表情は何も変わっていないのに。
「キラ、本当に何がしたいの?」
 くすりと笑ってしまったのは、今突発的に思いついてしまった悪戯にだ。
 いやいやそれはさすがにまずいでしょう、と自分につっこみを入れながら、でも楽しいかもしれないとも思う。
 当初の目的からは90度以上ずれてしまうことは否めないのだけれど。
 ああでも、わかってくれなかったことだしと考えてしまったのは言い訳なのか、それとも本当に腹がたっていたのか。
 …………言い訳だろう。
「跪いてキスして」
 厳かに――と思ったが、実際どう聞こえてるのかといえば、ふざけているようにしか聞こえないかもしれない――言ってやれば、アスランの困惑が驚愕に変わったのがわかる。
「キラ?」
「はーやーく」
 子供っぽい仕草が求めていることとあっていない。
 それでも戸惑いをみせながらも膝をおったアスランにキラは驚いた。
 自分で言っておいてなんなんだが。
 ホントにやるとは思っていなかったというよりも――いやだって、言ってみたかっただけなのだ。やられたところをイメージすることさえなかった――その慣れたような物腰に。
 慣れた、というよりも似合いすぎなと形容したほうがいいのかもしれないが。
 少し持ち上げられた手が、アスランの唇が触れる。
 軽く、だけ。
 常にはないその仕草に、どこかくすぐったいような感じがした。
 こぼれてしまった笑いは思わずだ。
 それが、止まらなくなってしまったのも。
 別にそんな意思があったわけではない。
 自分でも何がそんなに楽しいのかよくわからないままに、キラはとうとう声をあげて笑いだした。
 どこか呆然とした、それでいてはっきりと呆れているアスランを横目に。
「キラー」
「あはは、だって、だって、くっ、君っ」
 笑いが邪魔してうまく文にならない。
 転がるようにして笑えば、涙まででてきた。
 ここまで笑うのは久しぶりだと思う。
 アスランが重々しくため息をつく。
 当然だ。
 わけもわからずあんなまねさせられて、やってやれば爆笑されるなんて、そりゃおもしろいはずがない。
「あのなあ」
 言いかけて、何を言っても耳にさえ届かないだろうキラを見てやめたらしい。
 その代わりとばかりにえっと言う暇もなく、次の動作は素早かった。
 くいっと右手でキラのあごを固定して、キラの手に口付けたその唇を、今度はキラのそれに重ねたのだ。
 先ほどとは正反対に激しく。
「…………ん、……アス」
 舌と共に息まで絡みとられてしまう。
「……ぅん〜〜」
 やめろと押し返そうとした手もとられて、更にそれは深くなった。
 苦しいと訴えることもできず、違う意味で涙目になったキラは、ようやく開放されたとき当然のごとながら肩を上下させるはめになってしまった。
「バカアス」
 心外だと肩をすくめる彼に、そりゃあ先にしかけたのはキラのほうだったかもしれないが、それでもこれはひどいだろうと睨めば、今度はこっちが笑われた。
「で、何がしたかったんだって?」
 なんで彼はこんなにも平然としてるのか。
 憮然としながら答えた。
 ここで答えなくて強硬手段をとられるよりはマシだからだ。
「爪」
「…………え?」
「切って」
「キラ?」
「背中痛いでしょ。だから、はい」
 もう一度腕を伸ばせば、更に笑われるはめになった。
「心配してくれたんだ?」
 沈黙は、肯定にしかならない。
「別に。痛くていいならいいけど」
 いやなら切らせてやるから勝手に切れ、と。
 可愛いのか可愛くないのかわからない。
 自分でも少し呆れていると、アスランがまた驚くようなことを言うのだ。
「いいよ?」
「はあ?」
 それも微笑みながら。
「マゾ?」
 その場合やっぱり鞭とか使ってみたりなんかしたら悦ばれるのだろうか。
 一瞬本気で考えそうになったのを、そうじゃないといわれ安心した。
 ……さすがに自分でもぶっとびすぎだとは思ったが。
「キラが感じてくれてる証拠だから?」
 悪戯っぽい台詞に顔が赤くなる。
 いたたまれない視線に顔を背けようとして、できなかった。
 アスランにとらえられてしまって。
 もう一度、今度は軽くキスされた。
「……切る。切ってやる」
 でもう絶対あとなんかつけたりしないんだ。
 強く心に思うのは、実行できるか確実性にはかけていた。
 くすくす笑われて、でも蹴り上げる時間ももったいなく立ち上がろうとすればアスランがそれを押し留めた。
 切らさないつもりか、この変態は。
 やっぱり蹴り上げるべきなのかと足を振り上げようとするが、あらかじめ予想してたのか抑えられて不発に終わった。
 素直に悔しいと思う。
「はなせよ、ばかぁ。切るんだから」
「いいよ。切ってあげる」
「切るったら切…………あれ?」
「切ってあげるよ。爪」
 いい、と断る暇もなく、アスランはキラが呆然としている間に爪きりをもってきてしまった。
 なんでこんなときだけそういやに俊敏なのか。
 手だして、といわれてはいと条件反射で差し出してしまうキラもキラだけども。
 パチッと鳴る音が、どうしてかものすごく恥ずかしかった。






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あとがき。(反転してください)
私のほうが恥ずかしいです、はい。まあ個人的な希望といたしましては、アスランにはそのまま足のほうの爪きりをやってもらいた…………いや絶対やったと勝手に憶測なぞしております。
しっかしなんだろうこの意味のない文章は。謎だ。あああれか。試験前の変なテンションのせ………(以下自主規制)
ああもうなにやってんだろう、自分。
一つ言わせていただけるなら、「跪いてキスして」は本当にそのときふと思いつい(自主規s)