うだるような暑さが過ぎ去り、通りのイチョウやモミジが色づき始めたここ最近。 ここ数年でめっきり『お父さん』になってしまった思考回路が「季節の代わり目は風邪を引きやすいから、気をつけてやらないと」だとかおよそ十代学生の考えることじゃないだろうと思われる――別に世の早婚の方々を非難しているわけではなく、どうも自分には似合わない気がしてならないだけだ。これも偏見の一種だろうか――そんな考えにいきつく隣で、紅茶片手に世界の歌姫が息をついた。 彼女も母親なのだと時々むきになって言い張っているときがあるが、どうにもやはりそうは見えない。似合わないというよりは、考えたくないといったほうが正しいか。 もちろん公に公表できるような事実ではなく、主張するのは家の中だけなのだが、だからこそちゃんと認めてもらいたいのだろう。 誰に、とは言わない。 「秋ですわね」 ここで無視するとあとで拗ねるので、「そうですね」とだけ相槌を打っておいた。 いやはや全くいい身分だ。 こっちはこんなにもあくせくと働いているのに。 たった1,2メートル離れたところにいる彼女は、とても優雅でいらっしゃる。 少しばかり言葉に棘が混じっていても、そこはその広い心で許していただきたい。 確かに彼女に家事などとそんなことは1ミリたりとも期待していないけれど――むしろ怪我をしないか物を壊さないか、心臓に悪すぎて気が抜けないので自分でするより余計に疲れてしまうだろう――けれどもう少し思いやりがあってもいいんじゃないかと思うのは、間違っているのだろうか。 確かに、確かに、「何もしないで下さい」「お茶でも飲んでいてください」といったのは俺だけど。 …………複雑だ。 だいたいにして何でこんな所でお茶をするのか。 ここはリビングでもなければ、テラスでもないし喫茶店なわけがなく台所でもない。 子供部屋だ。 子供部屋なのだ、彼女の愛しい一人息子の。 普段ほとんど使われないベッドに腰を下ろし、手伝わないくせに一人じゃ暇なのか見学したいのかそれとも監視したいのか、とにかく移動しようという意思は見られない。 ことの始まりは、さきの一言と全く同じそれだった。 「秋ですわね」 そういった彼女に、 「そうですね」 とまた同じように返した。 それが、始まり。 「秋といえば、そろそろ」 にこりと笑う。 楽しそうに。 今度は何を言い出すのだと一瞬身構えてしまったが、以外にも続けられた言葉はまともなものだった。 彼女にしてはというべきか、驚くべきことにというべきか。 「衣がえの季節ですわね」 「そうですね」 そんな言葉知っていたんですね、とさすがに失礼なことを言いそうになったが、まあ知っていたから何だという話ではある。 憶測ではあるが、一度たりとも自分でまとにやったことがないに違いない。 「お買い物に行きませんとね」 ほら、言ってることが繋がらない。 だから衣がえを一体何だと認識しているのか、このお姫様は。 とりあえずその前に夏物を片付けて、去年のものを出すところから始めましょうと、ワンステップだかツーステップだか綺麗にすっ飛ばしている。 「冬物はふわふわしていて可愛らしいものがたくあんありますから、とても楽しみですわ」 止めなければ話は進む。 どこまでも。 ずいぶんと楽しそうなのに水をさすのもあれだったが、現実を見てもらわなければ困るのは……誰だ。 アスラン・ザラだと皆口をそろえて、無責任に言ってくれることは確かだ。 「それは日曜日ですね」 「あら? 何かありますの?」 どうしてと、土曜でもむしろ今からでも――思い立ったが吉日が座右の銘らしい――よろしいでしょうにと目で訴えて首を傾げるその姿に、世の男性と同じく見惚れるなどしていて勤まるような役柄にはおず、頭が痛くなるもの今さらで意味がない。 彼女だから仕方のないことといつものごとく、自分を納得させた。 これで恐ろしいのは春にも全く同じやり取りをしたという事実である。 何故繰り返すのか。 やはり手間を惜しんで、何もさせなかったこちらに非があるのか。 「土曜に一日かけて衣がえをしてしまいますから、買い物はそれからですね」 「あらまあ、そうでしたわね」 「とはいってもキラは一年で随分と成長しましたし、日曜に全て買い揃える気合でいたほうがいいでしょうね」 全く子供の成長は早い。 縦も横も精神面も――もちろんまだまだ子供でいるのだろうが。 もう一人ぐらいいてもいいんじゃないかとか考えて、そんなに子供好きだっただろうかと苦笑した。 成長は見ていて楽しい。 けれど楽しいからこそ時間の流れは急激で、なごり惜しいとさえ言わせてくれないのだ。 なんとなく、そんなことはあるはずもないのに、取り残されていってしまいそうな錯覚が、恐ろしいのだろう。 時は残酷に自らもしっかり引きずっていってくれるのだとわかってはいても。 「お手伝い致しますわ」 さも善意の塊のような言葉をくれるが、しかし"お手伝い"と言っている時点で意思があらわれている。 少し考えて、やはりと首をふってみせた。 このやりとりはきっと来年も繰りかえしてしまうことになるだろうが、それが何だ。 それぐらいの手間、下手に手を出されて仕事を2倍3倍にされるのに比べたら何だというのだ。 本当に暇、もしくはどうしようもないぐらいに忙しかったら、いつ何があってもいいようにさまざまなことを教え込んでいってもいいのだろうが、こう中途半端に忙しくてはそんなことしようとは思えない。 それにどうせ、根っからのお嬢様はそんなこと出来なくても困ることなどないのだ。 周りの者が何も言わずにやってくれるから。 そんな状況で育ってきて、それでもこの家で暮らすと言った彼女の覚悟というものはどのようなものだっただろうか。 想像するに難くない。 せめて過ごしやすいようにと心を配っているつもりではいるのだが。 質に関してどちらが上かなんて確認するまでもない。 話がずれた。 とりあえず。 「いえ、お茶でも飲んでいてください」 彼女と違い、強制されることで身についた微笑みを浮かべてお願いしておいた。 自分の服をしみじみと見て、数が多すぎるから人にやらせるといった彼女のおかげで、実質的に扱っている量は1,5人分――キラの分が半人分――となったし、扱っている大半は――特に重量で見ると、子供服は小さくて軽いので――自分のものなのだが、それでもやはり、働いている横でゆったりとくつろがれていい気分はしない。 さっさと終わらせようと決意を胸に、片付けるキラの夏物のTシャツを手に取った。 どんと何かがぶつかったような音の後に、ドアが開く音がした。 そして続くたったっという軽い足音。 「おかえり」 飛び込んできた影に言う。 が、普段ならすぐさま「ただいま」と元気良く帰ってくるはずの声はき超えず、不審に思って振り帰って、吃驚した。 かの子が泣きそうな顔で立っていた。 何かあったのだろうか。 いや、何があったのだろうか。 上から下まで見てみるが、別段転んだような形跡もない。 「まあまあまあ、一体どうなさいましたの?」 さすがのラクスも心配げに首を傾げる。 ただしそれでも立ち上がらないところはさすがだ。 もっとも今は足の踏み場もない状態なので、立たれたら困るのだが。 キラはラクスには答えずにまっすぐに彼女のもとへと走って、ぎゅっと抱きついた。 スキンシップの多いキラとはいえ、これはそうそうあることではない。 ちなみにその際当然のごとく、せっかくたたんだ服が蹴散らかされてしまった。 ため息をつきたくなっても仕方ない。 とりあえず今は子供の問題が先決だ。 「何があった、キラ?」 ぴったりとくっつくように腕を回して、ラクスに頭を撫でられ宥められているキラに問う。 それがわからなければ話にならない。 「…………いらな……の?」 零れ落ちた言葉に計らず眉を顰めてしまった。 ――いらな? の? さて、今度は一体何なんだろうか。 子供と話していると暗号をといているような気分になってくる。 「いらなーの?」 いらないの?と、言いたいのだろう。 『い』が転んでしまったその言葉は、あまり穏やかな響きではない。 「何がですの?」 「キラ、いらなの?」 思わずラクスと顔を見合わせる。 一体全体どこから沸いて出てきた話題なのか。 とうとう零れ落ちてきた涙を細い指が救う。 「そんなことありませんわ。キラはとっても大切な宝物ですのよ?」 そう言って抱きしめ返されて、少し、肩の力が抜けたように見える。 けれどまだ完全には納得していないのか、今度はこちらに入ってきた。 先ほどの服に加え、また2,3着犠牲が増えた――些細なものだ……と思うことにしよう。 くいっと掴んできた服から手を離させて、かわりに身体を抱え上げ膝にのせてやった。 「キラ、いりゃなのぉ?」 「そんなわけないだろ」 「じゃ…………いる?」 「いるよ。どういたんだ? 何で突然そんなこと」 まさか不安にさせるような態度でもとってしまったのかと、一瞬こっちこそ不安になるが、けれど朝出かける前にそんな徴候は見られなかったということは、だから一体何が原因なのだ。 「だってきょ、かがりが」 「カガリが?」 カガリはキラと同じ年のお隣さんのうちの女の子だ。 どんな子かといわれれば一番初めに、元気な子だと紹介したい。 金髪をなびかせてよくキラの手を引っ張っていっている。 同い年だが、お姉さんのような気分なのかもしれない。 それは女の子のほうが成長が早いとよく言われるそれなのか。 それとも彼女とキラの正確故なのか。 はっきりとしないが、だからといって愛おしさが薄れるわけもないのでいいだろう。 で、そのカガリが何を言ったのか。 彼女がキラを泣かすようなことを言ったとはあまり考えにくいのだが。 「かがりが、あきらからこどもがえするゆった」 「……子供がえ?」 聞きなれない――しかもいろいろと物騒だ――言葉に一瞬首をかしげていまったのだが。 よくよく考えてみれば似たような響きに覚えはある。 たとえば、さきほどキラが蹴飛ばしてくれたそれとか。 衣替え→ころもがえ→こどもがえ→子供がえ。 「キラかえられちゃの? アス、キラいりゃにゃの? ちがうこ、いりゅの?」 理由がわかっていまえば、当人としては重大な問題なのだろうが、必死な姿がいっそ可愛らしい。 笑ったら機嫌を損ねてしまうだろうか。 しかし、何というかやはり。 ……笑ってしまったのは可愛いかったからだ。 ふえっと泣き出すキラを抱きしめて、背中を軽く叩いてやる。 そんなわけないだろと繰り返して。 キラが好きだよ。 キラだから好きだよ。 キラがいらないなんてことないよと。 子供がえならぬ衣替えが再開するにはまだもうちょっと時間がかかりそうだった。
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