仕返し


 わずかな……ごくわずかな音を平均よりもはるかに優秀な耳はとらえて。
 キラはうつ伏せの状態から頭だけをあげた。
 突然目を開けてみても光がまぶしい……なんてことがないのが、また恨めしい。
 こんなに明るいのに。
 それはとうの昔に目覚めていたことを意味するから。
 おきてからの時間と共に悪化の一途をたどる気分をいささかもてあましながら、キラは部屋を見渡した。
 ――何か、何か使えそうなものはないかと。

 軽いものがいい。
 軽くて硬いもの。
 でも硬すぎないもの。


 目覚ましを見つけた。
 が、その瞬間に条件が増えた。

 手の届く範囲にあるもの。

 目覚ましは、届かなかった。
 とても悔しいことに。


 軽く舌打ちしてもう一度さがすが、しかし手元にあるのはせいぜい枕だけという現状を確認しただけに終わってしまう。
 枕は、駄目だ。
 やわらかすぎる。
 やわらかいということは、攻撃力が小さい。
 ――なんとも不穏な響きだ。

「……っくそ」

 忌々しげに悪態をついて。
 と、ふと目に留まったものああった。
 部屋の片隅。
 転がっているもの。

 ――あれなら使えるかもしれない。
 まあほんの少しばかり強度が予定よりも強すぎるかもしれないけれど。
 あまり文句ばかり言っていられる立場でもないことだろう――これがまた忌々しい。

 すっとそれに向かって手を伸ばす。

「おいで、ハロ」

 浮かんだ笑みは、深い。




「ハロ、ハロ、キィーラ!」
 名前を呼べば起動する、なかなか高性能なおもちゃ――ハロが2度3度とびはねて、キラの手に収まった。
 手のひらサイズのそれは、ハンドボールなげのボールにも丁度よさそうだ。

 キラは満足そうに微笑んで――ただしすがすがしい朝にはあまり似合わないのは何故だろう――うつ伏せだったのから横向きに姿勢を変え、それから上にした右手を引いた。


 そういえばこのハロはラクスから調子が悪いと渡されて、アスランが昨日直していたものだったけれど……。
 だが別にいいだろう。
 どうせここにはその製作者がいるわけだし。
 何度壊れても大丈夫。
 それに、ラクス、だし。
 彼女はきっと、手元に戻ってくるハロの武勇伝を喜んでくれるに違いない。

 勝手に決め付けた。
 が、幸か不幸か、ここにはそれをとがめる人物は存在しない。



 ――カツン。


 あと、三歩。
 どうやら間に合ったようだ。
 ギリギリだったけれど。


 ―――あと、二歩。


 一歩。





 ゼロ。


 カウントと共に、ドアが開く。
 まさか外れるとは思っていなかったが、やはりきれいに当たると気持ちがいい。
 キラは、それに向かって思いっきり腕をふった。




「え!? うわあっ!」

 どす、と鳴った音は予想よりも鈍かった。
 攻撃力は、予想通り。
 もっとも不満は残るけど。

 明るい色の球体は、真っ直ぐに訪問者の腹部へと突き刺さった。

 まず何より腹部というのが気に入らない。
 次にやるときはちょっと無理してでも顔に当てたいものだ。
 今日はさすがに姿勢の関係でそうなってしまったが。

 それから威力。
 やっぱりこれも姿勢の問題。
 立って投げてたらきっともっと、そう、よろめくだけじゃなくて転んでくれたかもしれないのに。

 とても残念だ。


 それでもなってしまったものは仕方ない。
 やり直しは……させてもらえないだろう、当然。

 気を取り直して笑顔をつくった。
 あくまで、つくった。



「大丈夫? アスラン」
「…………キラ」
「こら、駄目だろ、ハロ」
「てやんでぃ!」

 ――うん、我ながらスバラシイ白々しさだ。

 アスランの驚愕と不満と怒りと痛み呆れと、いろいろと入り混じった顔につくりものでない笑いも浮かんでくるが、今は適当じゃない。
 そう判断して我慢する。


「キラ。今俺の目には、ハロは真っ直ぐ飛んできたように見えたんだが」
「大丈夫だよ。僕の目にもそう見えた」

 後ろめたいところはどこにもありません、と主張するようにキラは言う。
 ……事実、後ろめたいことをした覚えはない。
 して当然のことをしただけだ。

「ハロはそんな風に飛ばない」
 どちらかというと飛び跳ねるだけで。
「でも飛んだよ? ああ、あれかな。ハロはアスランに逢えてうれしかったんだよ。君ハロにおはようも言わないでいっちゃっただろ。愛されてるね」
「わけのわからないことを言うな」

 アスランの足元でハロがくるくる転がる。
 アスランを歓迎しているように……見えなくもない。

 が。

 だからといってやはりハロは飛ばない。

 しばし見詰め合ったあと、先に目を逸らしたのはキラだった。

「僕は怒ってるんだ」
「見たらわかる」
「へえ? 見ないとわからないんだ?」

 ハロを投げつけられるまで、キラが怒っているだろうという考えはなかったのか。
 キラが怒るようなことをしたという自覚はまったくなかったのか。

 近寄ってきて伸ばされた手を、キラはすげなく振り払う。
 触るなと態度で示して。
 アスランはそれに微かに眉を動かした。

「…………ごめん」
「ねえアスラン。僕がなんで怒ってるのか、君わかってないだろ」

「昨日の夜のこと…………じゃないのか?」


 昨日の夜のこと。
 今日が休みだということで昨日は手加減なしでやられた――アスランに言わせればそれでもまだ『足りない』そうだが。
 だいたい昨日の夜というより、むしろ今日の明け方といったほうが正しいのではないだろうか。
 おかげでキラは動けない。
 だるくて辛くて。
 やめろと言ったのに。
 全然とりあってくれなかった。


 でも、確かにそのことは無関係とは言わないけど、むしろ一番関係のあることだと思うけど、けれどキラが本当に怒っているのはそれではなくて。


「違う」
「じゃあ、……何?」

 遠慮がちに――これで堂々とされていたら本当に救いようがなかっただろう――首をかしげるアスランに、キラはもう一度ハロを投げつけてやりたい気分になった。

 だがここで黙っていても話は進展しない。
 しぶしぶと口を開く。

 言わないでもわかって欲しかったと思いながら。

「今日は休みなんだよ、僕ら二人とも」
「そうだね」

 アスランにしてみれば、だから、だったのだが。
 キラにとってもまた、だから、だったのだ。

「買い物に行こうって言った」
「あ、ああ」
「なのに動けないだろ!」

 どうしてくれるんだ、と。
 楽しみにしてたのに、と。
 最近忙しかったから、アスランも、キラも。
 久しぶりに二人でゆっくり過ごせると思ったのに。
 出だしがこれじゃあがっかりだ。

「悪い。……でもキラだって」
「でもじゃないっ!」
「……………ごめん」

 米神に触れてきた手を、今度は振り払わなかった。

「本当に悪い。買い物は……夕方ぐらいにいこうか。そのころには涼しくなってるだろうし」

 そのころにはキラも少しは回復してるだろうし?
 だいたいにして不条理だと思う。
 いつもかつも被害を受けるのはキラだけだなんて。
 アスランもそれなりに苦しめばいいのに。


「それまでは二人で、ね。それに俺は、外に出かけるよりキラと二人だけでいたいんだけど」

 甘い言葉は、気分が乗らないときはだから何だと言いたくなる代物だ。
 確かに、まあ、少しは……、心が動かされないこともないけど。
 でも。
 だけど。

 やっぱりアスランにも少し苦しんでもらおう。

 お昼は譲ってあげるから。
 二人でいようと思うから――思うも何も、そうならざるをえないことには目を瞑って。



「僕が行きたいところに連れて行ってくれる?」
「いいよ。どこ?」

 機嫌よく頷いたアスランに、キラは一つの名前を告げた。
 カフェの。
 あそこのケーキはすごくおいしいから。
 とはいっても、今日の目的はケーキじゃないけれど。

「甘いものが食べたいの?」
「そう。びっくりパフェ」
「………………は?」

 一瞬アスランの時間が止まったようにも見えた。
 あるいは理解することを拒んだか。

 キラも気持ちはわからないこともない。
 が。
 それはそれ。
 これはこれ。

 びっくりパフェとは何か。
 その名の通り、パフェである――名前自体はどうかと思う。
 ただしちょっと大きめの。
 食べたてみたいなとはずいぶん前から思っていたのだけれど、さすがに手をだすのをためらわれるくらいには。
 一人で食べきれる自信はなかった。
 量が、というよりは、途中で飽きてしまうような気がして。


「キラ、一人で食べれるの?」
「そう、そこが問題なんだよ。さすがの僕も四人前はちょっと無理かなあ、と。だからね、アスラン。一緒に食べよう」
「キラ、俺甘いの苦手なんだけど」
「うん知ってる」



「…………キラ?」

 何を考えてると言われても、さすがに趣味と実益を兼ねた嫌がらせとは言いにくい。
 答える代わりにアスランの腕を引いた。

「半分こ、しよう」

 何故かはわからない。
 アスランの身体から力が抜けた。









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(一言)
キラにハロをなげつけさせたかった。アスランに嫌がらせをしたかった(何)
それだけです(死)