キラはそっと、うつむいて地面を見つめていた顔を上げた。 すると綺麗な緑色の目とやわらかく微笑んで。 いつもはそれを見るととっても楽しい気分になれるのに、でも今日はなんだか変だった。 よくわからないのだけれど、なんだかもやもやした感じだった。 哀しいことなんて何もないのに泣きたくなってきて。 また俯く。 その代わりにぎゅっと握ってた大きな手にすがりついた。 「キラ?」 アスランは首を傾げて子供の名前を呼ぶ。 しかし返事はない。 聞こえてはいるらしいが、先ほどからすべて無視して彼の子はただ手を握り締めるばかりだった。 手、とはいってもその手はアスランの足をつかんでいるのだから、さすがに子供の力だ、痛いと叫ぶほどではないが、それでも気合の入ったそれに眉は顰められる。 帰ってからずっとこの調子なのだ。 「キぃラ?」 これでは動きにくくて仕方ない。 気をつけてはいるが、何の拍子でふき飛ばしてしまうかわかったものではないからだ。 足を抱え込むように抱き疲れれば、いつからお前はコアラになったんだと言いたくなってくる。 危ないからと、抱き上げようとすればいやいやと首をふられ、どうしようもない。 結果拘束がきつくなっただけだった。 「何かそんなにも気に食わないことでもあったのだろうか」 ふとした拍子にあげられる、何か言いたげな瞳は、しかし思いつくものはない。 とても、ふがいないことではあったが。 今日あったこと、とは言ってもそう思いつくことはない。 むしろアスランが知らないうちに何かあった可能性のほうが高く思える。 なにせ一緒に過ごした時間などここ一時間ほどに過ぎないのだから。 朝はアスランが早くから学校に行ってしまって、その時間キラは起きていなかったし。 帰ってくれば家にいるのはラクスだけでとても驚いた。 ラクスの両親が遊びにでも連れて行ったかと思えば、どうやらラクスは近所に住む同じ年頃の娘を持つ母親に、面倒をみといてあげるからゆっくりそときなさいと言われ、その言葉に甘えたということらしい。 友達と遊んでいるのならそのままラクスと二人でお茶でもしながら待っていてもよかった、というか、そうすべきだったのかもしれないが、ふと様子を見に行ってみようと思ったのはアスランの我が侭だ。 キラの顔が見たくなった。 数時間後にはどうせ帰ってくるというのに。 出迎えに行けば一緒に遊べ、と砂場にでも引きづられてしまうに違いないのに。 これほどまでに子供が好きだっただろうかと思えば、なかなか複雑な気分になってくる。 キラ以外の子供だったらやはりあまり付き合いたいものではないと、思ってしまうのはやはり親ばかなのか。 それはそれで幸せだからいいのだが、知人に知られればからかわれることはまず間違いない。 それに気を重くしていた時期もあったが、今ならば十分に、呆れられてしまうほどに惚気られる自信さえあるのだから、本当に始末におえない。 そんなこんなで公園に足を伸ばしたアスランを待ちうけていたのは、想像したキラの笑顔ではなかった。 いや、確かに子供ということを考えれば十分想像の範囲内ではあったのだが。 アスランを見つけたキラが泣きそうな顔をして――目はもう潤んでいた――駆け寄ってきたのを反射的に受け止めれば、示されたのは憮然として座り込んでいるキラの友達、カガリだった。 服は砂にまみれ、顔にも泥がつき、どこか痛みをこらえるように顔がゆがめられていたが、それでも印象的だったのはどちらかといえば不本意そうなそれだった。 よく性格がでていると思う。 どうやら転んだのは、丁度今だったらだしいが、キラの泣きそうな――事実ほとんど泣いていた。このお子様は自分が転んでも大して痛いと主張しないくせに、誰か他の人が怪我をすると痛いとわめくのだ――顔とカガリのむしろ怒っているかのような顔を見比べて思わず笑ってしまいそうになったが、さすがにキラの目が痛くてこらえた。 だいたいもうこれぐらいで取り乱すようなら子供の面倒なんてみていられない。 日常茶飯事なのだから。 とはいえ必要なのは手当てだった。 膝こぞがすりむけてなかなかに痛々しい。手のひらもどうやら血がでているようだった――あくまで転んだのはカガリであって、キラではない。 まとめて子供を見ていてくれたらしい母親集団の中にカガリの母の姿は見えず、ついでだからとカガリを送り届ける旨を彼女らに告げたアスランの行動に不審なところはない。 まだ遊び足りないのだと言うカガリをまた明日と説得し――半ば強制的なそれに説得などという言葉はあわない気もするが、まあ大人と子供の関係などいつの時代もそんなものだ――抱っこは嫌だとどうにもこだわりがあるらしい彼女を背負い、左手でキラを手をつないでカガリを家に送り届けた。 家で手当てしてから送ってもよかったのだが、カガリの家のほうが断然近かったので。 その頃からだろうか。 キラが必要以上にアスランにへばりついてきだしたのは。 ……いや、思い返してみれば握った手もいつもよりも少しばかりきつかった気がしないこともない。 血が怖くなったとか? こんなこと日常の出来事なのに、今日に限って? それはそれでおかしい気がする。 まだ遊びたかったとでも言うのか。 確かカガリをもう帰ろう、また明日一緒に遊べばいいと説得――こっちは本当の説得だ――したのはキラだったのだが。 本当に一体何があったというのか。 感情自体は一緒に暮らしていればどうにか言葉にされなくてもわかるようにはなっていたが、しかし自分がいないところで何があったかなどわかったらすごいどころの話ではない。 だからアスランができることと言えば、キラを宥め宥めどうにかその口を割っていただくことぐらいだ。 「キラ? 俺もうそろそろ夕食のしたくしたいんだけどな」 ちなみに我が家の家事担当は大概アスランだ。 洗濯物はラクスがやっているけれど――洗濯物を干すという作業が好きらしい――食事を作るのも掃除をするのもアスランの役目になっている。 もともとアスランが一人で住んでいたうちで全部一人でやっていた時期もあるから、それに比べれば確かに楽なのかもれないけれど。まあ実際の話、大変になった感もあるが。子供が二人も増えて、と言えばピンクの髪のどこか幼い雰囲気を持つ、しかし女性は怒るだろうか。 「…………だめ」 ようやく声が聞けたかと思えば、それは小さな拒絶。 時間の経過と共に夕食が質素になっていくのだが、それはいいのだろうか。 いやまさか、そんなことをキラが考えるとは到底思えないけれど。 「今日は甘えんぼさんですわね、キラ」 救いの手、といえるのかどうかはおいといて、洗濯物を取り入れたラクスが窓からリビングに入ってくる。 「ラクス。とりあえず一度代わっていただけませんか?」 「あら、駄目ですわ、アスラン。キラはアスランにくっついていたいのですから」 「……原因を?」 歌姫は楽しそうにふふふと笑う。 少し考えるそぶりを見せてから、キラに手を差し出した。 「キラ、いらっしゃいな」 そっと顔を上げたキラは、ラクスをしばらく見つめたあとでやはりふるふると首を振る。 「ほら」 ごらんなさいと勝ち誇ったようなラクスだが、事態はなんの進展も見せてはいない。 「夕飯が刻一刻と遅くなっていってるんですが」 「では今日はわたくしが作って差し上げましょう」 ラクスはどうやらキラの好きにさせたいらしい。 ここまで甘やかして育てていいのだろうか。 周りにアスランと同じ状況のものはなく、相談も出来ずに、比較できるのは幼い頃の自分だが……、これもあまり良い比較対象とはいえないだろう。 そうそうに思考を放棄し――育児書でも読み直そうかと思う――ラクスに対し作れるのですかと目で言えば、どうにかしますとなんとも心強い答えが返ってきた。 「アスランはキラと一緒にいてくださいな」 一緒にいてくださいな、と言われても、一方的に縋られ言葉一つないのだから、こう言ってはなんだが暇でしょうがない。 「キラー」 「なんか、やーなの」 ぽつんと告げられるのにようやく話が進みそうだと邪魔はしない。 「何が?」 「わかんない。なんか、や」 話が進………まない。 ラクスがくすくすと笑っているのも不可解だ。 「やあだったの」 仕方なくそうなのかと言って髪を撫でてやった。 すると少し安心したのか手の力が緩んだので、チャンスとばかりに抱き上げる。 ぎゅっとしがみついてきた身体はやはりまだまだ軽い。 「キラは焼き餅を焼いていたのですわ、アスラン」 「……は?」 どこか満足そうに二人を見るラクスにアスランは疑問を隠せない。 焼き餅? 誰に? まさか…………、カガリとでもいうのか。 時間的には妥当な人物だが。 だがしかし、つまり何だろうか。 カガリを背負ったことがそんなにも気に入らなかった、と。 しかしあれは仕方のないこと、というか当然の行為だったと思うのだが。 首を傾げるアスランにラクスはそういう問題ではありませんと言う。 何故考えてることがわかったのか。 そんなにもわかりやすい人間だろうか、自分は。 「大丈夫ですわ、キラ。そこはキラの場所ですから」 ぎゅっとまわされた腕が強くなった。 話は、二人の間では通じているのだろうか。 先ほどまで全然進展のなかったそれなのに、いざ動きだしてみると取り残されているようで、ついていけない。 それでもまあいいかと思うのは、抱いた子供の体温がとても暖かかったからかもしれない。 back (一言) お手軽な男、アスラン・ザラ(苦笑) |