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「あああぁぁあぁあぁあああっっ!!」

 悲痛な叫び声が家中に響き渡った。
 その声を聞いた瞬間これはもう条件反射でアスランは走り出す。

 今度は何があった、何をした、と。

 子供の面倒を見るようになって、どんなに集中して何をしていても、その声が聞こえれば今まで何をしていたかも忘れて、腰をあげるようになった。
 慣れとは恐ろしいものだというべきか、むしろ子供とは恐ろしいものだというべきか。

 そんなことはともかくとしてどうやら台所にいるらしい子供のところにかけつけてみると、かの子供はそこで立ち尽くしていた。
 もしかして火でもいじって火傷でもしたのかと一瞬ひやりとなるが、どうやらそういう様子でもない。
 どこか呆然とした様子で、ただ立っていた。


「キラ? どうしたの?」

 声をかけ、振り向いたその顔に涙が伝うのに、焦る。
 ぼろぼろぼろぼろと……。

 どうしてこんな泣き方をするのだろうか。
 常ならばもっと大げさに、声を張り上げてわめきながら泣くのに。
 けれど今は、静かに、ただ涙を流すだけ。
 およそ子供の泣き方ではない。
 本当に何か大変なことでも起こってしまったのかと背筋が寒くなった。

「キラ? キラ、本当にどうしたの?」

「あ、あしゅ〜。ひっ、あのね、キラ、うぇっ」

 びとっと足にまとわりつくようにくっつかれて、動きづらいと思いつつもこれ幸いと、怪我その他がないかと確認する。
 ――どうやらそういうのではないようだ。
 ほっと安心するが、何があったか聞くまでは気は抜けない。

「キラのぉ〜、キラの、ああぁあっ、キラ、の」

 抱き上げるとその小さな手ががしっと袖をつかまれた。
 ついで頭をぐりぐりと胸に押し付けてくる。
 これはもうなだめるだけなだめたら服を着替えたほうがいいだろう。
 たのむから鼻水だけはつけてくれるなと思った日はもはや遠い。
 いやはや成長したものだ。

「キラの何?」
「キラの、くっきーがっ!」

 思ってもみなかった言葉に……、と続くのはだからもう過去の話だ。
 今思うのは、どうやら大事ではなかったようだ、とそれだけ。
 気が抜け疲れるなどということ、子供相手にやっていたらこちらの神経がもたない。

「うん。くっきーが? どうしたの」
「ないの。どこにもないの。キラのくっきー」

 そしてまたぼろぼろと涙を流す。
 さらにまたアスランの服で拭いてくださるのだろうが。

「キラのなのに、キラのなのにぃ」

 とんとんと背中を叩いてやりながら、そういえばとアスランも思い出す。
 そういえば昨日焼いたクッキーをやけにおいしそうにキラは食べていた。
 あれのことだろうか。
 それ、ぐらいしか、思い当たるものはない。

 しかしながら。

「あ〜〜〜〜。キラ?」

 そのクッキーは、はっきり言ってしまえば、このあとの反応を思えばとても気が重くなるのだが、もうない。
 確かに昨日はあった。
 今朝もあった。
 昼もまだあった。
 が、今はない。

 何故ならば、昼過ぎに顔をだしたカガリにすべて食べられてしまったからだ。
 とはいえ、キラがそこまで気に入っているとは知らず、他に出すものもなくお茶請けとしてだしてしまったのはアスランなのだが。

「くっきぃないの。きらのくっきないのっ。あしゅ、キラのくっきー逃げちゃった」

 クッキー逃げちゃった。カガリのお腹の中に。
 …………やっぱり言いにくい。
 が、言わなくては仕方ない。

「キラ、ごめんね。キラのクッキーはね、カガリが食べちゃったんだ」

 いささか言い訳がましいだろうか。
 事実は事実だが他人のせいにしているようであまり気分は良くない。
 ただ、嘘をついて自分で食べてしまったことにするよりは、まだ大人しい反応が返ってくることは予想された。

「かがり? なんでっ!? うぇっ、きらの、なのにぃ〜。うわあぁぁあっ!! あしゅのばかあっ」

 がしっとなぐられるのは力はまだそうないが、痛いのは痛い。
 そして腕の中で暴れられると危ない。
 これしきのことで落とすつもりはなかったが、しかし万一ということはある。

「ごめんね? また作ってあげるよ」
「うぅ〜〜。きらはいまたべたいの、いまたべるの」
「うん、だから今から作ろう。そしたらすぐに食べられるよ」

 クッキーなどそう時間がかかるものではない。
 まあ片付けなければならないレポートに手をつけるのが遅れてしまうのは痛かったが。
 それも期限に切羽つまっているわけではなかった。
 となると一番に優先すべきは、やはりこのお子様なのだろう。
 機嫌の悪いままレポートの邪魔をされるが一番の問題なのだから。

「いまから?」
「そう」
「あしゅが?」
「キラも作る?」

 右から左に抱きなおすとキラは少し考える素振りを見せ――だからといって本当に何を考えているかなど、子供だ、定かではない――それからゆっくりと頷いた。
 涙が止まっていることを確かめ、ほっとする。

「こんどは何味がいいかなあ。ココアにしようか」
「きらねぇ、おはなさんのかたちがしゅきなの。それでね、わんわんもつくっの」
「そう、じゃあ頑張らなきゃね」

 多少気分も浮上してきたのか。
 ぐしゃぐしゃの顔で、けれどそんなことを気にせずキラが笑う。
 可愛いと思うのは親ばか故か。
 しかし親ばかでもなんでもいいじゃないかとも思うのだ。
 子供を可愛いと思うのは、とても幸せな気分になれることだから。
 そう、泣き喚かれるよりもずっとずっと。
 心穏やかでいられるから。
 もっとも手間がかかるのは同じだけれど、それでもその手間の量が違う。



 小麦粉はある。
 バターもあるし、卵もある。
 砂糖もココアも型もちゃんと。
 どうにか、なるだろう。

 しないとアスランが困るのだが。


 ただ一つ問題としてあげられるのは、作り終わったあと、キラは全身汚れてしまっているのだろうと予想がつくこと。
 なんでお菓子を手で作っているのに全身汚れるのかは、あまり考えたくないが――まあ仕方ないだろう。
 作り終わったら一緒にお風呂にでもはいって、少し遅くなってしまったが今焼いたクッキーを食べよう。


 クッキーを食べながらラクスを待とう。
 ラクスは今日帰りが少し遅くなるらしい。
 だからむしろおやつが遅くなってしまったのはちょどいい。
 三人で夕食を食べようと思う。









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(一言)
ちったい書くのが異様に楽しい今日この頃。こんどはラクス視点で書いてみたい。