日常的な非日常


 身につけているのは短パンと、それから頭からかぶっているタオルのみ、という非常に露出度の高い状態で、キラは、固まった。
 ただ一つに視線をひきつけられて。
 大したことが……、あったわけじゃない。
 日常的なことが。
 日常的なことなのだけれども。
 どうしたことか、その拍子にろくでもないことを考え付いてしまった自分がいるのだ。

 どうしよう。

 思いついたそれはひどく魅力的だった。
 ちょっとした、どうでもいいような、それでも悪戯と呼ばれる、そんなことをする快感。
 重くない罪悪感を隠す悦び。
 誰も知らないことをしたという事実がもたらす優越感。

 ただひどく、魅力的だった。

 自分がどんなに最悪なことをしようとしているか、理解していても。
 それで人を傷つけることになったとしても。
 ばれれば誰がどんな反応をするか全部予想できても。
 それは不本意なことではあったが、それにしてもやはり魅力的なことは一度思いついてしまえば、頭から離れてはくれず。
 キラは決心がつくまでしばらく固まっていた。
 そっと手を伸ばしたのは、どうせ忘れられずひきずってしまうのならば、やってしまおうと、そう思ったその瞬間。


 ようは、バレなければいいのだ。



 ………………たぶん。








 アスランは恒例行事とばかりにキラの家のドアを叩く。
 今日も母は仕事で遅くなるらしいので、キラの家に夕食を、ということだ。
 普段ならばキラと一緒に帰ってそのまま直行するのだが、今日は生徒会の仕事で遅くなってしまいそうだったので、キラは先に帰した。
 の、だが。
 結局どうにもならない不備が見つかって後日また、ということになり、意外にも早く帰れてしまった。
 実際日はまだ落ちない。
 キラはちゃんと家に真っ直ぐ帰っているだろうか。
 一抹の不安を覚える。
 それはキラの双子の姉である、カガリがきっと帰っていないだろうことをふまえての不安だった。
 キラがいないのにアスランだけキラの家にいるということに対して居心地の悪さを感じるとかいった、そういった問題ではない――なんだか家族みたいに育ってしまったので、今さらそんなことは感じない。
 だから何故今日に限りそんなに拘るかといえば、待っているというキラを先に帰した理由故だったりする。
 まあ、理由自体はいつものことなのだが。
 期限のすぎてしまった課題を、せめて先に帰って始めていろ、と。
 さて。
 キラは手をつけているだろうか。
 幼馴染の性格を考え、アスランはため息をついた。
 これでキラがやっていたらとても失礼なのだが。



 アスランを出迎えたキラの母――カリダは、キラはきちんと帰ってきて、今はシャワーを浴び自分の部屋にいったことをアスランに告げた。
 ここで哀しいのは、自分の部屋に行ったということがそのまま課題をしているということに結びつかないということだが。
 とりあえず、アスランはキラの部屋に向かう。
 課題を始めているのなら、それを褒めて手伝うために。
 課題をやらずにゲームなどやっていようものなら、怒って、それから手伝うために。
 そうとうに甘い自覚は、ある。


「キラ、入るぞ」
 短く告げた言葉に返事はない。
 軽く首をかしげる。
 聞こえなかったのか。
 熱中しすぎて?
 即座に浮かんだ可能性は、完全には否定できなかった。

 返事を待たずしてアスランはドアをあける。
 と、そこで見たものは…………。


 ゲームの前で寝そべるキラ、ではなかった。
 が。
 また、課題にひーひー言っているキラでもなかった。

 かといって寝ているわけでも音楽を聴いているわけでも、なく。
 何をしているかといえば、何もしていないというのが正しいのだろうか。
 鏡の前に立たずんでいる。
 睨んでいるようにも見えるが、ただ呆然としているようにも見える。
 格好は、やや眉を顰めたくなるもので。
 ジーパンにタオル。
 以上。
 しかもぽたぽたと髪からたれる水滴は半分以上、肩にひっかかるように掛かるタオルから外れ床をぬらしてしまっている。
 アスランは痛くなってきた頭を抱える前に、訝しげに声をかけることを選択した。


「キラ。おいキラ。キラ!」
「っへっ!? あ、アアアアア、アスラン!?」

 再三の呼びかけにやっとアスランの存在に気付いた――だからそれほどまでに意識を飛ばす何をしていたんだ――キラは、アスランの姿を視界に入れるや否や真っ青になった。
 焦っている。
 これは確定だ。
 だが。
 何故?
 答えは、まあ知るはずも無いが。
 一番近いのはこれだろう。
 どうせまたロクなことじゃない。

 アスランの予想は…………、限りなく近かった。



「何をしてるんだ、お前は」
 そういいたくなるようなことをしていたが、しかしその理由はアスランには見当たらなかった。
 ジーパンにタオルといういでたちで、何を鏡の前で見るものがあるのだろうか。

「あ、や、なんてゆーか、その……。あのね、とりあえず、ドア閉めて」
 どもりどもり言われたそれに、警戒心が生まれた。
 一体何をしているんだ、から一体何をしでかしたんだ、に。
 それでも一応後ろ手でドアを閉め、どこまで要求されているのかわからずに鍵を閉めると、キラに泣きそうな顔ですがられた。


「アスラン、どうしよう」
「……何したんだ」
「自己嫌悪でむしろもう笑いが止まらない」
「…………本当に一体何をしたんだ、お前は」

 警戒心だけじゃない。
 不安が、それと共に一気に大きくなった。
 本当に取り返しのつかないことでもしてしまったのか、と思って。
 それにしては笑いが止まらないという台詞が気になるのだが。

 そこまではアスランにもまだ余裕があった。

 それが無残にも霧散してしまったのは、キラが何も言わずにジーパンを脱ぎ始めてしまったからで。

「な、何がしたいんだよ、お前は!?」

 アスランが叫んでしまったのも無理のないことだろう。

 硬直するアスランを尻目にキラはそのジーパンから、もっと余裕のあるものに履き替えるが。
 しかしそれはやっぱりジーパンは暑くって、などという理由ではない、……気がした。

 しかもその脱いだジーパンを何を思ったか、奥深くにしまいこんでしまう。
 不可思議な行動は、アスランの理解の範疇をとっくの昔に超えてしまっていた。
 いくらキラのすることがいつも突拍子もなくて、長年付き合ってきたアスランが他の人に比べ、それに慣れていたとしても。
 それでも処理範囲というものは存在するのだ。
 あらためて実感したが、あまりしたくなかったかもしれない。

「アスラン。今日ここで見たことは誰にも言わないで」
 真剣な調子で言われるが。

 今日見たことというと。
 ジーパン?

 今日はクエッションマークが大活躍だ。

「特にカガリには」
「何で」
「…………言わなきゃダメ?」
「駄目」

 ここまできてそれはないだろうと言うと、キラはどこか焦点のあわない目を揺らめかせてため息をついた。
 ……ため息をつきたいのはアスランのほうだというのに。


「……カガリの、なんだ」

 ぽつんと、どうかしたら聞き逃してしまうのではないかと思われる音量だった。
 だったがアスランの耳にはしっかり届いた。
 届いたが、処理するのに時間がかかった。
 かかったが、処理してしまえば行動は一つだった。

「はあ!?」
「だから、カガリのなんだ」
「何が。ってもしかしてそのジーパン?」

 こくりと頷いたキラは、どうにも笑っているように見える。
 たぶん、他にできることがなくなって。

「母さんが間違えて僕のほうにいれちゃったみたいで。出来心ってゆーか、なんてゆーか。履いてみて履けたら笑えるよねーとか、そんな……」
「軽い気持ちで履いてみたら履けてしまった、と」

 なんだか。
 前振りの割には、どうしようもなくくだらなくて、くだらなすぎて眩暈がしてくる。

「これってさ、哀しむべきなのはカガリなのかな、それとも僕なのかな」

 そんなことは知らない。
 ただし間違いなく怒るのはカガリだろう。
 ラクスは……喜ぶかもしれないが。理由は知らない。知りたくない。

「しかもね、しかもだよ、アスラン。ウエスト、おっきかった」

 ああもう、何と言えばいいのだろうか。
 かなりの間視線をさまよわせてから、アスランは口を開く。

「カガリは太ってないぞ?」
「うん」
「つまり。お前がやせすぎなんだ、キラ。ちゃんとご飯食べてるのか!?」
「食べてるよ。ってゆーか、アスラン三食が監視してるんじゃないか。二食の時もあるけど」

 それはキラを迎えにきたアスランがキラを叩き起こして朝食を食べさせ、昼食を一緒にとり、そして夕食をヤマト家でごちそうになるからであるが。
 そんなことはどうでもよいのだ。

「僕は太りにくい体質なんだよ!」
「威張って言うな!」
「威張ってなんかないよ。僕だってショックなんだ。男なのに……男なのに、レディース履けるんだよ!?」
「…………ちなみに、ウエスト何センチ?」

 聞くべきではないと――キラのためにも、そしてカガリのためにも――それはわかっていたのだが。
 好奇心というべきか。
 それ以外に話のつなげようがなかったというべきか。
 訊いたアスランにキラは答えた。
 とても小さな声で。

「……センチ」

 肝心のところが聞こえない。

「え?」
「だから、58!」

 聞き返せば怒鳴られたが。

 ………………しばし沈黙が支配したのは言うまでもない。







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(一言)
半分実話(汗)