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ケーキとイチゴと彼と彼女と


 カシャカシャと軽やかに一定のリズムを刻む音は、アスランの手元から発せられている。
 どんな表情を浮かべていいのやらわからなくて、複雑な心境ではじめ無表情であった彼は、しかし今は至極真面目なそれで手元を見つめていた。
 何で、と思いつつもやめるという選択師を思いつかないあたり生来の気質を如実にあらわしている。

 ――なんで、こんなことしてるんだろう。

 問うが、別段答えが欲しいわけじゃない。
 いやむしろ、きっぱりと欲しくなかった。


 何をどれだけ疑問に思っても、手は止めない。
 よって白い泡は順調にその体積を増していった。




 10月29日。
 今日は彼の誕生日……だったと気付いたのは、今朝キラが寝ていた上に飛び乗り叩き起こしてくださった上で、「おめっとー」と笑ってからだった。
 唐突なそれは寝起きということもあり、何に対してのものであったか思い当たるのにしばし時間を要してしまったが。

 なんとも不謹慎な態度ではあるがとりあえずとして「ありがとう」と告げれば、満面の笑みで「キラ、もっとおめっとしゆ」とたどたどしい言葉遣いでうれしいことを言ってくれたそこは、彼の腹の上だ。
 『おめっと』したいのならもう少し寝かせてくれと、心底思った。
 それでもいつもの休日よりほんの少しだけ遅い朝ではあったのだが――気付くのはもう少し後だ。


 小さな手にひっぱられて辿り着いたリビングで待っていたのは、彼女の微笑みとケーキ…………などといったものではなく。
 期待していたわけでは決してないのだが。
 だいたい朝からケーキというのも甘いものがそう好きではないので、どうかと思う。
 しかし、だ。
 ちょっとというかだいぶこれは、予想範囲外の出来事ではあった。

 卵。
 小麦粉。
 砂糖。
 牛乳。
 バター。
 生クリーム。
 エトセトラ。

 微笑む彼女だけはいるにはいたが、その目は「さあ、どうぞ。作ってください」と言っていた。


 起きたばかりのはずなのに、なぜだろう、一気に疲労感が最高潮だ。
 けれどまさかもう一度寝かせてくれるはずもなく。
「先に朝食にしましょう」
 只今11時。
 実質的にはブランチになるだろうメニューを、ケーキの材料――だろうと思われる――を横目に見ながら考える。

「パンケーキ!」
 朝から元気な注文がとんだ。
 一日中ケーキにまみれるつもりか。




 結局考えるもの面倒でパンケーキを焼いたが、蜂蜜を要求する子供にはサラダをはさんで渡してやった。
「これ食べてからな」
 一言付け加えるのは忘れずに。
 結局譲歩しているあたりは甘いと思わないでもないが、本当においしそうに食べてくれるので、それを見たいがために言ってしまった気もする。
 調理人冥利に尽きるというやつだろうか。










「まーだー?」
「もうちょっと」
「さっきもそゆった」

 目の前でぷくっとふくれるキラは、他のどんな子よりも可愛いと思う。
 親バカもいきつくところまでいってしまえばいっそ気持ちいい。
 最近は開き直ることにしている。
 そっちのほうが幸せだから。

「まだあ?」

 ところでさっきから思っているのだが。
 『さっきもそゆった』も何も、状態がかわる暇もあたえず「まだ?」を連発しているのは件の子供だ。
 必然的に「もうちょっと」以外の答えなぞあるわけがない。

 アスランは軽くため息をついてキラを見た。
 「キラやる!」と高らかに宣言したのはいつのことだったか。
 数分前の出来事とはとても信じられない。

 確かにどうせすぐに飽きるだろうとは思って泡立て器を渡してはみとものの、まさか1分もたなかったのには、泣きたくなった。
 飽きっぽい。
 堪え性がない。
 我慢できない。
 我が侭――は子供特有のものだとしても。
 どこで育て方を間違えてしまったのか。
 今からでも修復は可能だろうか。
 心意気だけは結構だったのだが。



 もうやらせろと言ってくることはないだろう。
 そう判断し、泡立て器を置いた。
 途端「おわった?」と声をはずませるのに「まだ」と返して、上の棚をあける。
 取り出すのは電動泡だて器。
 安全面を考慮してキラには渡さなかったのが、アスランまでそんなものを使っていたら日が暮れる。までは言わないが、手間であるのは確かだ。
 道具を変えたことにより、やると再び言い出さないことを願いながらスイッチを入れた。


 ちなみにラクスはといえば、ケーキどころかキラまで本日の主役――なんじゃないかなあと思ってはいるが、いまいち自信がない――に押し付けて、友人と電話のようだった。










 ボールであるとか、子供が嘗め回したあとの泡立て器であるとかを洗いながら、思った。
 もし本当に誕生日を祝ってくれる気があるというならば――あてつけで言っているわけではない。あくまで仮定の話だ。……が、そっちのほうが切ない――1日家事を代わっていただきたい、と。

 一つ断っておくが、それはあくまで『代わって』もらいたいのであって、ハウスキーパーを雇って欲しいとそんなことを言っているわけではない。
 自分のことは自分でとしつけられてきたためか、あまりいいことではないだろうという漠然とした理由が一つであるし、またもしかしたら他人に荒らされたくないだとかむやみに触られたくないということもあるのかもしれないが、そうではなく大変さを実感してもう少し思いやってもらいたいというのが本音な、すっかり主夫じみしていまった彼は、忘れられがちだがまだ学生である。

 噂の母親と子供は楽しそうにアスランの作ったスポンジに、アスランのあわ立てた生クリームを飾り付けている。
 いいとこ取りだがやる気だけは認めてやるべきか。
 キラに関してだけなら――ラクスのほうはどうも何がしたくて何をさせたいのかがわからない――その前向きな姿勢はすばらしいのだが。……後で褒めてやろう。

 少し距離のあるところから眺めて、まあいいかとアスランは苦笑した。
 2人とも何より楽しそうなので。
 これであとは平穏でありさえすれば言うことない。



「あすらん!」

 洗い終わったのを見はからってかキラが駆け寄ってきた。
 甘そうな手をして。
 なにせ真っ白なのだ。
 ヘラとしぼりを渡しておいたのだが、焦れてとうとう手でつかみ出したのか。
 やらせる前に念入りに手を洗わせておいて本当に良かった。

「しゃがむの」
「何?」

 指示にしたがって――従わなければ実力行使にでそうな気配だったので。その際の被害者はアスラン以外にありえない――目線がそろった状態で首をかしげてみせる。


「あ〜ん」
「うん?」
「だから、あーん」

 口を開けろといわれているらしい。
 何だろうと思いながらも、やっぱり従った。

「はい」
 と押し込まれた何か。

 生クリームまみれの手に隠れていたのだからそう大きいわけではない。
 恐る恐る歯をたててみれば、広がる甘味と酸味とおれから独特の香り。

「いちご?」
「ぴんぽーん」

 プレゼントと言うので素直にお礼を言った。
 なんだかとても楽しくて。

「ありがとう」
「おいし?」
「おいしいよ」

 生クリームは……もう少し甘さ控えめのほうが好みではあるが。


 顔は自然ほころんでいた。




 出来上がったケーキは意外にもまともなものだった。
 上出来といっていいだろう。
 イチゴとホイップでかわいらしく飾り付けられており、ラクスのセンスはやはり確かだ、どこぞの店に並んでいるにも劣らないとは、……やはり身内びいきだろうか――たまに不恰好なたぶんキラがやったんだと思われる、生クリームの角は愛嬌だ。
 しかし気になるのは予想していたキラが遊んだ気配がなかったことだ。
 聞くと素手を使い出したのは、飾り終わって残ったそれであったとか。

 さらにイチゴだけかと思っていたら、切り分けたスポンジの中に、ももやらキウイやらの果物を見つけて純粋に驚いた。


「すごい?」

 誇らしげに尋ねてくるキラに

「すごいね」

 と頷いた。


「おいしいですか?」

 彼女に聞かれ、作ったのが自分だなどとそんな無粋なことは思い出しもせずに

「とても」

 と答えてしまった。


「本当はわたくしが作って差し上げたかったのですが」
 複雑そうに言うのに
「気にしないで下さい」
 と首を振る。

 彼女の腕は……、
「お料理は、あまり得意ではありませんので」
 知っている。

 だがそれは経験が絶対的に足りないだけなので、慣れればそれなりのものを作れるようになるのではと個人的には睨んでいるのだが。

「買ってくるとかも考えたのですけれど。少し……悔しくて」
「悔しい?」
「はい。確かにおいしいですし、綺麗ですし。けれど」

 他人が作ったものだから、と彼女は言う。
 それ以上は語らなかったが、なんとなく、わかった気がした。

「それぐらいなら、と作っていただいたのですが。よく考えてみれば本末転倒ですわね。ごめんなさい」

 少し寂しそうな様子を見せるラクスに、アスランは軽く微笑んでみせた。

「いえ、とても……楽しかったですよ。ありがとうございます」

 それは紛れもない本音であったから。
 するとラクスは驚いたように目を見張って、それから、微笑った。


「来年はきっとわたくしが作りますわ」
 頼もしい言葉だ。


「だから教えてくださいね」
 と。



 それは言うなればなんの変哲もない日常だった。
 しかしきっと、忘れることはないだろうとそう思える一日だった。











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あとがき。
自分の誕生日に自分でケーキ。それぐらいしないとアスランではない(なんだそれ)
でもいいんです。幸せだから。
ああでも問題はあれですね。アスラク…………。堂々とアスラク……。
どうでもいいのですが、アスラクはぎこちなさの中にどこか睦まじさがあるとよいと思います。


以下おまけ3つ





おまけ1
「きっとおいしいケーキ、つくってみせますわ」
「期待してます」
「ですから」
「はい?」
 なんとなく、天使と称されるべき笑みが、不吉だった――バチが当たりそうな言葉だが。
「わたくしの誕生日はモンブランでお願いしますね」
「………………はい」
「え、キラチョコがいー」
「……え?」
 がんばりますと口の中で呟いた。
 どうにもこうにも子供が2人いる気分になってきた。







おまけ2
「はい、お誕生日おめでとうございます。わたくしからの心ばかりですが、プレゼントですわ」
 渡されたのは白い、封筒のようだった。
「ありがとうございます。あけても?」
「ええ、どうぞ」
 でてきたのは、3枚の……。
「チケット?」
 有名なテーマパークのロゴが見える。
「はい」
 連れて行け、と言われているのだろうか。もしかして。
 誰の誕生日か、もうわからない――いや、はじめからわかったものでなかったが。







おまけ3
「ああそれから、もう1つございますの」
 なんというか。
 もうどうでもよかった。
 楽しそうに告げ、いそいそと何かを取り出す彼女をどこか遠い気分で眺めた。
 しかし手を引かれ、そこにあったものには、素で驚いてしまうことになった。
「グラス?」
 しかもえらく高そうな。
 それから、ワイン。
 どうみても年代物の。
「こっちが本物のプレゼントですわ」
「あ、ありがとう、ございます」
 貴腐ワインのようだった。
 実家からとってきたというのなら驚くことではないが、彼女の性格からして自分で用意したものに間違いないだろう。
 歌姫の金銭感覚は相変わらずだ――彼も周りの友人に言わせればいささか破綻しているらしいが、彼女に比べれば可愛らしいものだと思う。すべて母親の教育の成果である 。
「飲みません?」
「……そうですね」
 断る理由は、ない。