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Bridge over the troubled water
 

「ちょっと行ってくる」


 不親切な言葉。
 たった一言。
 告げてアスランは、行ってしまった。


 行かないでとは言わなかった。
 言う理由も、言う資格も必要性も思いつかなかったから。
 その時はまだ。


 『ちょっと』と彼は行った。
 僕の髪をいじりながら。
 その時は何も思わなかった。
 思う余裕などなかったから。
 ただ眠くて、伝わる温度は暖かく、うつらうつらしていた。
 それでも何か真剣な話をしているらしいのはわかったから、必死で起きていたのだ――反対に言えばおきているだけで精一杯で、話は聞くそばからぬけていき、理解することはできていなかった。



「寂しい?」

 そう聞かれて首を横にふったのは覚えているけれど。


 その言葉の不自然さに気付くことはなかった。
 『ちょっと』と言ったのに。
 そんな『たくさん』離れる前みたいな言葉はどういうことだと。

 あのとき気付いていれば何か変わっただろうか。
 あのとき頷いていれば、何か変わっただろうか。



 ――――わからない。


 変わったかもしれない。
 でも、変わらなかったかもしれない。
 どちらにしろ今考えても詮無いことではある。





 そういえば「いってらっしゃい」と僕は言っただろうか。
 ふと、思った。

 なんでもないただの疑問。
 疑問でしかなかったはずなのに、先の見えない闇の中に放り込まれたかのような恐怖に瞬間襲われた。


 息を呑む。
 指が痙攣するようにふるえた。
 慌ててぎゅっとにぎりしめたそれは、皮膚を傷つけ肉に食い込む。

 爪を切らなくちゃ――どこか遠いところで、思った。





 1日目。
 僕は演じた。

 普段という名の茶番劇。
 だってアスランは、「ちょっと行ってくる」って言ったんだ。
 嘘をつくような人ではないからと、むりやりに納得させて。
 気付かないふりをして。
 自分を滑稽なほど一生懸命にだまして。
 演じた。
 買い物に行った。
 二人分、買った。
 夜までには帰ってくるだろうと、それは希望でしかなかったのに。



 ――――だいたい『ちょっと』ってどれぐらいだよ。




 2日目。
 まだ演じた。

 僕はまだ演じ続けた。
 もうそろそろ帰ってくるんじゃないかと思いながら。
 それ以上のことを考えないように仕事に没頭してみた。
 アスランが傍にいる時はサボリがちなのに、2つも仕上がってしまった。
 おかげで食事をするのを忘れてしまったけど。
 それもこれもアスランが悪い。



 ――――結局、彼がいないことを実感しただけじゃないか。



 3日目。
 舞台から降りた。

 もしかしたら足を踏み外したのかもしれない。
 まあどっちでもいい。
 とにかく何もする気がなくなった。
 自分でもびっくりするくらい怠惰な1日だった。
 アスランがいたら絶対あこがれていただろうそんな1日は、どうしてなんだろう、ちっとも楽しくなかった。
 楽しくなくて、だからといって哀しくも、なかったけれど。
 とにかく何もなかったんだ。
 ご飯を作るのも面倒だったから、適当に買って食べようかと思い、どうせだからと彼がいないときじゃないと出来ないだろうことを考えた。
 今日一番頭を使った瞬間だったね。
 結局ケーキ1ホールを昼食にすることで落ち着いた。
 午後中かけて食べていた。
 夜?
 入るわけないじゃない。
 不健全だと彼は怒るだろうか。
 怒ってくれるだろうか。



 ――――くだらない。



 4日目。
 変わらない。

 何を思ったかラクスから通信が入った。
 何の用? と聞く僕の態度はひどいものだったと思う。
 せめて1日目だったらもう少しつくろえたかもしれないのに。
 タイミングが悪いんだよ。
 それでも彼女は始終にこやかに僕に接した。
 ただし、全て気がついたらはかされてしまっていたんだけど。
 すごいよね。
 一体どんな手をつかったんだか。




「それで貴方は一体何をなさっているのです?」

 そう訊いてきたときのラクスの顔は、少し怖かった。


 ――何ってそんなの決まってるじゃないか。
 彼の望むことを。
 それが全て。


 ねえ、アスランは行き先を言ってはくれなかったんだ。
 つまり。
 来るなと言われたわけなんだよ。

 騙されたとまでは言わない。
 けれどそれに近いものは、あった。
 僕の頭が働かないうちに、探してくれるなと――帰ってくるとはっきり言われたわけじゃない。でもそれに近いことをわざわざ匂わしてくれたから。僕はここで待たないわけにはいかない――告げて行ってしまった。




 ――――ずるい。ってゆーか用件なんだったんだよ。



 5日目。
 また通信。

 今度はカガリから。
 いつもの元気がなかった。
 どうやら忙しいらしい。
 その忙しい合間を縫ってわざわざ連絡を入れてきたのは、どうしたものか。
 だけど彼女に気遣えるほど、僕は僕で余裕がなかった。
 用件は、――簡単に予想がつく用件も、不愉快なものでしかなかったのに。 
「あいつまだ帰ってないのか?」
 真っ直ぐだといえば聞こえがいいけど、とにかく鈍い僕の半身は、僕の傷を遠慮なく抉る。



「キラ? 久しぶりだな」
「……そう、だね」

 さて、どれぐらいぶりだったか。
 どうでもいいけど、そんなこと。

 それよりもカガリが少し驚いたような顔をしたのが気になった。


「お前がいるってことは、あいつは? 帰ってきてるんだろ? 連絡ぐらい入れろよな」
「………………は? どういう意味」

 普通に何を言われているのかわからなかった。
 どこでどうなってなにがどうなってどんな話が彼女の中で出来上がっているのか。
 しかも当然のように言われて。
 なんだか無性に苛立った。


「え、だっておまえ……」
「"あいつ"はいないよ。残念ながら」
「そう、なのか? 私はてっきり2人で旅行にでも行ったのかと思ってたんだが。ほら、もうすぐあいつの誕生日だし」
「なんでそんな話になるのさ」

 アスランは行ってしまったんだ。
 一人で。
 僕は、置いていかれた。

 他人に下手に気遣われるのが鬱陶しい。
 それから、誕生日のことも……。


 僕は本当に置いていかれたのか。
 それとも、逃げられたのだろうか。



「しばらく休むって言われて。お前とどっか旅行でも行くのかよって聞いたら、あいつ否定しなかったから」

 僕はそんなに怖い顔をしていたんだろうか。
 カガリの声はどんどん小さくなっていって、最後はもうほとんど聞き取れないほどになってしまっていた。


「あ、でもあいつのことだから、別に誰かと浮気してるとかそんなことは無いと思うぞ、うん」

 下手はフォローもいらない。
 能天気な姉君を呪いそうになってしまうから。
 願わくば、黙っていて。



 ただ一つひっかかった。


 ――――しばらく? ちょっと? どっちが本当?




 本当に、帰ってくるの?





 信じてると言い切れない、自分が一番嫌いだ。
















「何をしているのですか、貴方は」


 本当にね。
 全くだね。
 何をしてるんだろうね。





「いいのですか、それで」




 いい?
 どうして?



 いいわけないだろ。
 そんなこともわからないのか。




 ――違う。
 わかっていないのは僕だ。
 誰でもない、僕がわかっていなかった。

 わかろうとせずに目をそらしてた。





 よくない。
 いいはずがない。
 そんなの許さない。







「貴方が欲しいのは何ですか?」




 欲しい?
 わからない。 
 わからないよ、そんなもの。
 漠然としすぎてるのかもしれない。

 でも1つだけ確かなのは、欠けてはならないものがあるということ。








 彼の望み?
 そんなものはしらない。
 もう、しらない。





「さあ、どうするのです?」





 ―――行こう。

 もう、やめた。
 待つのはやめた。


 ああそうだ。
 ごめんね。
 お帰りって言ってあげれないね。
 それだけは、残念に思うけど。

 その代わりに帰るよっていって手をひっぱってあげるから。
 だから一緒に、帰ろう。









 彼の足取りを掴むこと自体は容易ではなかった。
 一応自分の立場をわかっているらしく、さすがと賞賛したくなるぐらいに――見つけたらきっと言ってやろう。きっと罰の悪そうな顔をして言うから。「悪い」って――隠されてた。

 けれどその事実が彼の居場所を如実にあらわしてもいた。
 そして更に、今さらもうわかりきった「来るな」という意図も。


 ――でももうやめたから。




 置いていかれるのは嫌だ。
 喪失に怯えながら生きるのも嫌だ。


 これが理由。


 僕が僕であること。
 彼が彼であること。


 それが資格。


 僕には君が必要なんだ、アスラン。




 これで理由と資格と必要性の全部がそろった。





 隠されるのは嫌いだ――だから暴く。

 謝らない。
 これは僕の特権のはずだ。
 アスランが否定しない限り。
 僕はそんな言葉、まだ聞いてない。
 屁理屈だろうか。
 でもそんなこと気にしてたらやっていけないだろ。






「ああ、見つけた。おいで、トリィ。一緒にむかえに行こう」
















 行ってらっしゃい。















 瓦礫にまみれた風景。
 物寂しいのは人の気配がないからか。
 それとも、未だ死の臭いに満ちているからか。

 終戦からまだ数ヶ月。
 大量虐殺兵器と称するにふさわしい武器――ジェネシスの生々しい爪痕が、ここだ。


 足場の悪いそこをけれど僕は何も避けずに、まっすぐ歩く。
 ただ一つの影を目指して。
 遠くで藍色の髪が靡くのが見えたから。

 肩のトリィが飛び立った。
 自然足は速まっていた。
 瓦礫のせいでスピードはでないのがもどかしく、いくつか蹴り飛ばしたりした――おかげで足が痛い。
 でも止まらない。
 


 ――――トリィ。


 周りに彼と僕しか感じられないその空間で、耳慣れた鳴き声が空に吸い込まれていった。
 ゆっくりと、彼が振り向く。
 目が、大きく見開かれていくのがまだ少し遠いところからでもわかった。
 アスランと数歩の距離を置いて、僕は立ち止まった。


 過去ここ月において僕らの間に散っていた桜の花びらなんていう演出は今はなく、かわりに乾いた砂が舞う。
 殺伐としたここで、これは一体何度目の再会だろうか。
 その数だけ別れがあった。



 もう、やめようと決めた。
 もう許さないと。
 これで最後にしよう。




「やあ、アスラン」
「キ……ラ…………」

 微笑んでみせた僕に、アスランは驚きを隠せないらしい。

「きちゃった」
「きちゃったって、お前」

「うん、だから、きちゃった」

 彼の深いため息が何を意味しているのかは、はっきりしない。
 呆れているのか怒っているのか、あるいはうれしいのか哀しいのか悔しいのかその他か。
 きっとアスラン自身もわかってはいまい。



「立ち入り禁止のはずなんだけどな」
「君がそれを言うんだ?」

 なら僕ら共犯者だねと言うと、それは予想してなかったのか絶句した彼がいた。


 そして僕らはしばし見詰め合う。


 そこで何を思ったかと言えば、なんのことはない。
 ああ、アスランだと。当たり前のことを。
 当たり前だけど、何より大切なことを。


 アスランだ。
 ここにいるのはアスランだ。

 当たり前のことを当たり前のように確認してから僕は口を開いた。
 


「それで、もう気は済んだの?」
「……なんだよ、その言い方は」
「済んでないの?」
「だったらどうする?」

 気が済んだ済んでないという問題でないことは僕もわかってる。
 それでも聞いたのは、なんて答えてくれるのかに興味があったから。

 少し考えるそぶりだけ見せた後で――だって答えなんて決まってる――僕は手を差し出した。


「それは残念だったねって言って。それから、帰るよって言う」

 帰ろうではなく、帰るよと。
 拒絶を許さず。


「俺は許されるのだろうかと、考えていた」

 アスランは手をとらない。
 代わりに語る。

「くだらないね」
「ああ、そうかもしれない。きっとその通りなんだ。でも考えずにはいられない。望まれていたのだろうかと」

「望まれる。それはとても充実感をもたらす。でもそれに何の意味があるの?」

 望まれる。
 他でもない誰かに望まれる。
 叶えてあげたいと思う。
 叶えてあげて、自己満足に浸る。

 そこに何の意味がある?

 大切なのは自分の願いだろ?
 自分の望みが叶わなくちゃ、意味がないだろ。

 そして僕はここにいる。



「ここでこの間、人が死んだ」
「人は死ぬよ、どこででも」

「殺したのは俺の父だ」
「君だって僕だってたくさん殺してるよ」

「許されるのだろうか」
「許されようが許されなかろうがそれは君じゃないだろ。関係ないよ」

「でも俺の父だよ」
「でも君ではないよ」

「俺は、……直接手を下したわけではないけれど、でも結局のところ親を…………殺した」
「許されたいんだ?」

「許されたい。いや、もしかしたら、許されたくないのかもしれない。許されることじゃないから」
「君って面倒な性格してるよね」

「うるさいな」
「生きていていいのか、不安になった?」

 アスランは答えない。
 いや、沈黙が答えなのか。

 創造者にその生を否定される。
 それがどれほどに辛いことなのか、虚無感を生み出すのか、僕は彼ではないから知らない。
 もうすぐ誕生日。
 その生が生み出された日。
 近づくごとに不安になって、近づくごとに苦しくなって。
 たぶん、そういうことなんだと思う。
 そうやって、想像することは僕にだって出来る。


 でもね。
 それを容認してやれるほど心広くなくって。
 だから、ごめんね?
 

「それは誰かの許可がいることなの?」

 痛みに歪む顔。
 そんな顔を僕以外の誰かの前では見せないで。


「僕以外の誰かの許可がいることなの?」
「キラ?」

「許して欲しいって言うのなら僕が許してあげるよ。だからそれでいいじゃない?」
「……キラ」


「だいたいね、色々間違えすぎなんだよ、アスラン」

 生なんてものは許されて存在するものじゃない。
 生きていいのか悪いのか。
 許されるのか許されないのか。
 答えなんて存在しない。
 それに答える資格のある者なんていないのだから。
 だれも神様じゃないんだ。


 それに――。

「我が侭言って突拍子のないことして、君を困らせるのは僕の係りのはずだろ? 君が我が侭言ってどうするのさ。間違えすぎ」
「なんだよ、それ」



 むちゃくちゃだと言うその口調はもういつものもの。

 


「とりあえず帰ろうか」

 今度こそ、アスランは僕の手をとった。






「ああ、ついでだから桜並木寄ってみようか。あと学校とか。どうなってるかなあ」
「まだ復興されてないんじゃないか?」
「ま、それでもいいんじゃない? 偽りない今の姿なんだったら。僕は見ておくべきだと思うよ」


 瓦礫の中を歩く。
 今度は2人で。
 立ち入り禁止区域だけど。


「あ」
「どうした?」
「雑草発見」

 鉄筋がむき出しになってるコンクリートを割って、瓦礫と瓦礫の間から、よくよく見ると結構たくさん小さいけれど緑があることに気がついた。
 一度壊された生は、誰の許可も得ずにそれでもしぶとく生きている。



「ああ、本当だ」
「ところでアスラン、誕生日おめでとう」
「なんかどうでもいいみたいに言うな」
「実際どうでもいいしね」



 いつ生まれたかなんて。
 そんなことはどうでもいい。
 大切なのは、今、今ここにいて生きていて僕の隣に在るということ。




「でもそうだね。月並みだけど言っとこうか?」















 生まれてきてくれてありがとう、アスラン。












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あとがき。
誕生日なのにやけに暗いものを書いてしまって申し訳ありません。しかもこれが唯一まともなアスキラ……なのか?(汗)
祝福する気持ちが見えないとか言わないでやってください。誕生日おめでとう
タイトルはサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」より。さてどれだけの人が知っているのか。いい曲だと思います。カラオケで歌うと気持ちい。ただし少し引かれる可能性が……。